piccola: 2011年2月アーカイブ

うらやましい!

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先日、‘70年代のフォーク全盛期に活躍した歌手のコンサートを聴く機会がありました。
私の世代ではリアルタイムで楽しめなかったフォーク全盛期。
実は出演する二人の歌手のどちらも名前を聞いたことがあるようなないような・・・
という程度の知識でコンサートに行ったのでした。
 
~どんな内容なのか想像もつかないコンサートに行く~
 
一体どんなステージで、どんなトークが繰り広けられて、どんな構成で進められるのだろう?
これはワクワクする!!このワクワク感を例えるならば、
初めて手に取った輸入物の瓶詰めを開けるような・・・
初めて飲むワインのコルクを抜くような・・・
中身はうっすらと見えているのにその味わいがまだわからない。
 
あまりに貧相な例えです・・・
 
閑話休題。
 
“知っている曲はあるかな?”そう思って座席に着く。周囲は50代以上と思われる人たちでぎっしり。
幕が開き、二人の歌手がアコースティックギターで弾き語る・・・と、
なんと知っている曲ではありませんか!!
そしてこの声、何度も聴いたことがある!!
時折聴いたことのある歌がポツポツと登場したのでありました。
なぜ知っていたのかといいますと、そのほとんどが音楽の教科書に載っていたからなのです。
 
ん?これは何かに似ている感覚では??
 
そう、「唱歌の学校」。
音楽のジャンルは違えど「唱歌の学校」を見るときの感覚とはこれに近いのでは??
私は「唱歌の学校」の出演者なので客席から観ることは出来ないのですが、
お客様からのアンケートを拝見すると、“昔を思い出し、思わず口ずさみました”とか、
“学生時代を思い出しました”という感想が多いのです。
 
このコンサートで、私は教科書で知った曲をナマで聴くことができる楽しさを味わいましたが、
大多数の観客は、この音楽を聴いていた頃の思い出と懐かしさをも同時に味わっていたのでしょうか。
アルバムのページを次々と繰るように。
何かを思い出したり、懐かしさを感じたり、そしてそれを多くの人と分かち合えるものがある・・・
この場で楽しんでいる世代の方々がなんだかうらやましくなったのでした。
イントロを聴いてすぐに歓声をあげたりするのもうらやましくなったりして。
 
今は音楽だけでも多様化し、簡単に手に入る時代。
私の世代が多くの人と懐かしく思えるものって一体何だろう・・
 
 
そういえば先日、音楽の教科書から削除されていた唱歌が再び採用されることになったというニュースを目にしました。

真ん中は難しい?

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「真ん中は難しい」
先日、新聞にこのような書き出しのコラムが載っていました。
“3階建てアパートに入るなら暖かい2階がいいが、物音には悩まされる。
また部課長の心労など、とかく真ん中は難しい・・・“と。
 
真ん中。
確かに歌のアンサンブルでも真ん中は難しい
コーラスで内声を歌ったことがある方はよくおわかりでしょう。
高くもなく、かといって低くもない<中間音>をえんえん歌っていく。
“そこ音程を高めに!”“そこはちょっと低めに・・”と、上下パートとのバランスを取りながら歌っていく。
ハーモニーの要となる場合が多いだけに「真ん中は難しい」を実感するのが内声パートです。
だからこそのやりがいもまたあるわけで、
他のパートとはちょっと違った“ハモる喜び”を味わえるのは真ん中の醍醐味でしょうか。
 
さらに真ん中。
例えば北海道土産の定番、六花亭のマルセイバターサンド。
真ん中のバタークリームがなければただの2枚のクッキーであって、
真ん中が商品のウリでもあるわけです。
しかもこの場合の真ん中は“これぞ北海道の商品!”ということを前面に出すための重要なファクター。
北海道のイメージすら司っていると言っても過言ではない。
 
もちろん真上と真下があっての真ん中。
両側からガシっと挟んでくれるものとの相性、チームワークみたいなものがあっての真ん中です。
 
こちらはちょっと違うかもしれない真ん中。
「2番じゃダメですか??」という政治家の発言がありましたが、1番を目指している人にとって2番はダメ。
オリンピックだって金メダルを目指しているのに銀メダルだったら悔しい。
真央ちゃんが涙を流したように。
この場合、真ん中(とは言えないかもしれませんが)という位置は、
自分の目的から一歩後退してしまった結果をどう受け入れるか、
心の決着をつけるのに難しいのではないでしょうか。
 
もし菅内閣やエジプト政府に有能な仲裁者がいたら・・・
そうぼんやりと考えている私は、3人姉弟の「真ん中」なのでした・・・