コンビニ。カフェ。ファーストフード。
いずれもカタカナであることはさておき。
いまや街のあちこちでお目にかかるこれら。それはそれは便利なもので、
一週間に一度はいずれかのカタカナにお世話になっているという方も多いことでしょう。
この三つの中で私がよく利用するのはカフェ。
ゆっくり読書をしたい時や集中して資料に目を通したい、楽譜を読みたいなど、
いずれも一人で集中して何かをしたい時、資料をごそっと抱えてカフェに向かいます。
しかしいくら「ごゆっくりどうぞ」と店員さんに言われたとしてもそうそう長居するわけにも行かず、
せいぜい1時間前後。ある程度の時間制限下に自ずと置かれるわけで、
ゆえに目的もスイスイと進みはかどることが多いのです。
一人で行くことが多い私の場合。
*暗めの照明で座席間隔がゆったり。
*他のお客さんの話し声が耳障りにならない程度の環境。
以上2点が自分なりに落ち着ける店内環境の要です。
そうとはいえお客さんの目的はそれぞれ。
いや目的が無いから行くという場合も多いですが。
数人でのおしゃべり、仕事、または仕事の合間の一休みなどなど。
だからそれぞれのテーブルでの話し声はあたりまえ。
むしろ多少の喧騒があるからこそ、自宅には無い空間なわけです。
しかしどうしても避けられないものがあります。
それはBGM。どんな音楽が流れているかは楽しみだったりもしますが、
最近特に気になるのはその音量です。音量が大きいとどうにもこうにも居心地が悪い。
聴覚機能がギンギンに働き始め、もう何もかもが手につかず、
コーヒーを堪能するなんてことすら出来なくなり、ついには店を出て途方にくれるという始末。
またBGMが大きいとお客さんの話し声も大きくなり、ついでに携帯電話で話す人もいたりして、
その声も大きくなってなんだかそっちも気になってしまったり。
店員さんの声量も気になるときがあります。
元気な店員さんの接客は気持ちがいいのだけれど・・・
客席に着いてもそのハキハキと元気な声が聞こえてくると、
そのうちイントネーションとかクセとか母音のカタチとか具体的なことが気になり始める。
こうなるととてもじゃないが読書や譜読みどころの騒ぎじゃない。
ついつい“声”というものに集中力を使ってしまい、
カフェというゆとりの空間でヘトヘトになる自分がいたりします。
これだけカフェが増えて選択肢もあるのだから・・・空間選びは大事です。反省も含めて。
それにしても目に見えない“音”とういうもの。その存在感たるや。
いやこうなったらすべての音を“音楽”と捉えるべきでしょうか。
ジョン・ケージ「4分33秒」をふと思うのでありました。