piccola: 2019年1月アーカイブ

チェーン店が増えました。飲食店や衣料品店、薬局、スーパーなど、日本のどこへ行っても同じようなお店が並ぶということも少なくありません。北海道にしかなかったお店が関東にも出来たり、またはその逆もあったり。初めこそ同郷の仲間に再会したような気持ちになりましたが、今では“これもやって来たか”という感覚。それほどに多くなりました。

 先日、10数年ぶりに某チェーン店に立ち寄りました。サンドイッチを選び、その場でどんどん具を挟んでくれるあのお店です。昔のままの感覚でショーケースの前に立つ。そこまでは良かったのですが、その後やり取りに最後まで四苦八苦、というかチンプンカンプン。その要因はシステムが少し変わっていたのと、店員さんの言っていることがよくわからなかったこと。マニュアル一辺倒でわからないことを聞きたいのに会話が成り立たないのです。でも後ろには列が出来ている。ものすごいアウェイ気分。でもなんとか先に進まねばならない…何やら違う世界に入り込んでしまったような気分を味わいました。サンドイッチを買うだけなのに。

 でもちょっとお待ちなさい、と私は心の中で呟く。マニュアルって一体何なの?

  店員はマニュアルを叩き込まれ、教えられたルールに則って接客します。店員さんがどんな対応をしてくるのか骨身に浸みている人にはスムーズに進むでしょう。決まったように答えるのみで無事にお会計までたどり着くことができます。しかし初めて訪れる人や、ゆっくり対応してほしい人にとってはどうだろう。客だって年齢も好みも様々です。マニュアル一辺倒で対応されると、そのマニュアルに対応できるように客が頑張って店員に歩み寄っていかなければならない状況に陥ります。

 どこに目線を置いてアクションを起こすのか。その人の柔軟性とか対応力とか、マニュアルにはない要素を生かしてこそ接客は成り立つのではないのかな。と、過去に接客業やお客様対応に携わった自分への反省も込めて、そう思うのでありました。


 

そろそろどうでしょう?

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稀勢の里関が引退しました。

”唯一の日本人横綱”と言われ続けました。その重圧は本人にしかわからない苦しさだったことでしょう。怪我を押して土俵に立ち、痛みに堪えて勝つ。日本人の好きなカタチ。しかしこれが力士としての寿命を縮めてしまったのでしょうね。悔しいだろうなぁ。怪我は付き物とはいえ…切ないです。

さて、”唯一の日本人横綱”と耳にするたびに、もうそろそろ”日本人”というくくりを抑えてはどうかなと感じていました。ふた昔前くらいはハワイ出身の力士が強く、その後モンゴルや韓国、中国、ヨーロッパ出身の力士が増えました。皆さん日本語も上手で相撲や日本のしきたりに則って日々暮らしています。文化の違う方がまわしを締めるだけでも勇気がいるだろうなとも思いますし…思えばもう外国人力士が活躍し始めてかなりの年月が経つのです。相撲人気低迷を支えてくれたのも外国人力士じゃありませんか。決まり手が気に入らん!とか懸賞金の取り方が気に入らん!とか、まぁいろいろご意見も耳にしますが…そろそろどうでしょう、マスコミの皆さん、フラットに「相撲」でいいのでは?厳密には相撲は国技ではないわけだし。

というのもいつのこのことが重なって見えるからなのです。

日本人が外国でオペラを歌うとき、以前は”日本人はこの役はだけ。この役はダメ”ということがありました(今も?)。悔しい思いや苦労もたくさんあったことでしょう。他の分野でもこういったことはまだ存在します。

同じような偏見を持って日本にいる外国人を見てはいないだろうか。極端に”日本人力士”を強調するとき、心の奥底がチクッとします。

 

 

2019年スタート!

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